東京藝術大学 大学院美術研究科 博士審査展2019

先端芸術表現
歩行、思考と想像力
−− アートプラクティスとしてのフィールドワーク
エレナ・トゥタッチコワ

審査委員:伊藤 俊治 古川 聖 鈴木 理策 港 千尋

 私たちはなぜ歩くのか。歩くときにどう世界を観るか。歩くことは人間にとってどんな意味を持つか。様々な土地でのフィールドワークや滞在制作が活動のベースとなってきたこの数年の間、これらのことについて考え続け、本論文において答えを出すように努めた。
 人間にとって歩行は、この世界を生きることと直接的に関係しているのではないだろうか。人間は、世界を想像し、歩き、世界の道を作りながら、思考する生き物である。見たことがない場所、まだ知らないことの向こう側へ向けた想像力が旅の動機となったとき、実際に歩き、旅することにより人間は知識と経験を得る。私たちは意識と身体の両方があるからこそ、経験が成立している。意識か身体のどちらかのみで、人間としての経験を得ることは不可能だろう。経験は、世界を歩き、道を作るプロセスの中で生まれる。経験を積み重ねていくことで私たちは、確実にこの世の中に生きている感覚を得ることができるだろう。
 人間は歩きながら世界の道を作る生き物だが、「道を作る」ことは何を意味するだろうか。歩くことは世界の中の境界線を作り、地図を更新し続ける行為だ。まだ地図化されていない場所だけでなく、すでに存在している都市や町の中でも、私たちは新しい道を構築している。それは、世の中の新しい道や道路を物理的に作ることには限らない。歩行は物理的に空間を変容させなくても、その場所が持つ意味を変えていく行為であるため、場所についての認識を変えながら私たちはその場所を変えていくことができる。
 歩行は様々な形態を持つのだが、どの形態でも必ず意識のトランスフォーメーションを意味する。歩くことによって場所の認識が変わることで、場所も歩く人の意味も変わっていく。それは、日常レベルでも、集団レベルでも、また巡礼といった文化的なレベルとしてのトランスフォーメーションでもある。
 どんなメディアを選択しても、アーティストは、ポイエーシス、つまり、なかったものを創造し、見えなかったものを見えるようにするという本来の意味での詩人を目指さなければいけない。アーティストとは、物理的に風景を変容させなくても、人の風景認識を変えることで見え方を変え、見えなかったものを見えるようにする能力を持つ人だ。そのために歩行は、最も有効な手段の一つではないだろうか。
 自身の制作過程において、歩行の位置付けについて、写真や映像、言葉やドローイングと並ぶ表現の一つとして扱い、またそれらの表現形式を繋ぐものだと考える。土地のフィールドワークを行うとき、歩行はその土地を考えるために必要不可欠な作業だ。
 本論文において分析する、ハミッシュ・フルトン、フランシス・アリスやヴェルナー・ヘルツォークなどの作家の作品や活動は、歩行をテーマにしたものばかりではない。しかし、これらの作家の作品において歩行は重要な作業あるいはモティーフやキーワードであり、その制作自体も歩くことなしでは不可能だっただろう。私は自身の活動や作品制作においても、歩行は、歩くことそれ自体がテーマであるのではないが、思考、想像、経験、作品制作、メディア、人間関係、土地との関係など、それら全てを繋ぐ作業として捉える。
 私は、歩くことを意識的に日々のプラクティスに取り入れることで、メディアの新たな可能性や、アーティストとして、人間としてその土地や社会に対してできることを探し出そうと努めている。
 歩行はなぜ表現方法として捉えることが可能なのか。私は、作品とは、必ずしも物理的に形成されるものではないと考える。例えば、空間中に展開されるパフォーミングアートやサウンドアートの作品は、そのときしか存在しない時間であり、パフォーマー側・観客側にとってはその時しか体験不可能なものである。つまり、それは経験である。作品は空間・作家・観客の間に成立し、一つの社会を形成する。我々が日々行う歩行は、言葉を使うときに必ず誰かを相手にすると同様、一人で行うことではなく、社会の中で行う活動である。アーティストが行う、歩行をベースとした、意識的にその空間、その土地の風景が形成される要素を考えるイベント(ワークショップ、ツアー)は、そのときしか体験不可能である、アーティスト・参加者両者にとっての「経験」だ。このようなイベントの形をとった、共有した時間と場所の中で展開する「歩く」という経験を、作品として、また、その中で歩く作業を一つの表現として私は捉える。そしてそれはイベント内で完結しているものではなく、アーティストが常に続けているフィールドワークの流れの中で行われるものである。
 アーティストが行うフィールドワークとは、人間の活動の一つとして、歩行といった能動的な作業によって土地を知ること、人間との関わりを通して土地を巡る想像力や物語創造を探る作業だ。自身の活動におけるフィールドワークの対象となるフィールドとは、ある特定の場所ではなく、また、土地や文化における現象というより、人間がどのように世界を観る、聴く、つまりどのように世界を知るか、そして、それをどのように表現するか、ということである。つまり、外側の風景が内側に写る「認識」の領域が、フィールドである。自身にとって最も興味深いのは人間とその想像力の世界だ。しかしそういったものが生まれるのは、風景の直接的な経験からである。人間の内側にあるフィールドを探検するために、私は外部の世界での経験を求めて、土地に出かけるのだ。自身が歩きながらその場所を観察し、人と関わり、人がどのように世界を見るかを探り、それを表現するように志す。また、土地の人々とともに歩く機会を作ることによって、彼らはその土地へ向けた思考をより意識的に日々の生活の中に取り入れるきっかけを作るように努める。

 私たちは歩くことで場所に新たな意味を与え、地図を更新していきながら、自分自身の地図を作っていく。それこそ人間として道を作ることではないだろうか。アーティストだけでなく、全ての人間は本来、想像し施行し、世界に新たな意味を与え、なかったものを存在させ、見えなかったものを見えるように変化させる能力を持つ。それは古代のギリシャ人でも、オーストラリアのアボリジニでも、現代人の私たちも変わらないのではないだろうか。現代社会の中だけでなく、普遍的な意味で人間であることはどういうことか。歩きながら、それについて考え続けていきたい。

先端芸術表現
歩行、思考と想像力
−− アートプラクティスとしてのフィールドワーク
エレナ・トゥタッチコワ