東京藝術大学 大学院美術研究科 博士審査展2019

日本画
不在
杉山 佳

審査委員:海老 洋 佐藤 道信 植田 一穂

 私の絵画制作における動機は、本来そこにあるべきものが存在しないことを意味する「不在」をテーマに、具体的な対象=「存在」を描くことで間接的に立ち上がる、「観念としての対象」を想起させることにある。
 具象とは、現実の物体をそれとわかるように表す美術のことであるが、私の絵画制作での試みは、具体的な対象を描きながら、それとは別の、画面上に可視化しない対象がそこに居た余韻を表すことである。日本画の制作では、写生の重要性や、対象と描き手の主従関係(対象が主、描き手が従)を学んできたが、私はその外側に興味を持った。
人が関わった痕跡を描くことで、画面には登場しなくても、人が確実にそこにいた場面を切り取る。そこに「不在感」が生じる。実在する、もしくは実在していた対象を描くことで、描かない存在を表すという、メタフィジカルな状態の絵画を成立させることが、私の制作の狙いである。
 本論文では「不在」をテーマに、東洋的な「無」や「見立て」表現をバックグラウンドに、私が奈良県で生まれ育ったことの影響、日本文化に見られる様々な「不在」や「見立て」表現に言及しながら、自作品を評説した。また自作品では「見立て」の手法と、既存の芸術作品からの「引用(サンプリング)」を駆使して画面構成を行い、作中の具体的な登場人物の「不在」を表している。それはあくまで「ささやかな遊び」としての企てであり、日本文化に見られる「形式の借用」の域を出ないこと。そしてそれらの総合的な創作として修了制作「der rahmenⅧ-部屋曼荼羅」で行なった、「見立て」と「不在」の表現の可能性について論述した。
第1章 不在の定義
 第1節「不在の原風景」では、「不在」が主たるテーマになった理由を、奈良県出身である自身の出自から考察した。
 第2節「あることとないこと」では、存在に対する西洋と東洋の捉え方を比較しながら、画面上に描かず、再現しないことで存在を際立たせるという、逆説的な表現からの「不在」について論述した。
 第3節「美術作品に見る不在感」では、日本画、工芸、現代美術で不在感を表した作例と、私が表したい「不在」のあり方を比較し論述した。
第2章 不在を表すための見立てと対象
 第1節「見立て」では、日本美術の伝統的な表現で、「類化性能」と深い関わりがある「見立て」について、現代美術に見られる「シミュレーショニズム」との相違点を論述した。また小村雪岱の作例と自作品を挙げながら、「見立て」について考察した。
 第2節「対象の選択」では、私が本棚を好んで描いてきた理由として、幼少期に制作した「昆虫標本」が影響していること。また描く対象として、本棚を標本箱に「見立て」、部屋を人物に「見立てた」経緯について述べた。
 第3節「肖像画としての部屋」では、フィンセント・ファン・ゴッホの作品「ファン・ゴッホの椅子」「ゴーギャンの椅子」にみられる、「肖像の見立てとしての対象」について考察した。椅子を描くことで、自身やゴーギャンのポートレイトとしてそれを昇華したゴッホの作例と、自作品を比較し論述した。
第3章 引用と不在
 第1節「引用」では、人物不在のポートレイトを制作する際、具体的な絵画作品や様々なメディアから構図を引用していること。その「引用」は、ヒップホップのサンプリングの作曲方法と共通していること。そして私が使用するサンプリングは、「遊び」としての画面構成であることを、和歌や浮世絵などの日本文化の作例と比較し論述した。
 第2節「連続性」では、私にとって形が連続するモチーフは、描く対象として魅力的であること。そして磯辺行久、クートラス、曼荼羅から構図をサンプリングした自作品を解説した。
 第3節「提出作品解説」では、前述の内容を踏まえ、博士提出作品「der rahmenⅧ(部屋曼荼羅)」の解説を行った。この作品は、学部3年時の古美術研究旅行で見た「当麻曼荼羅」から、基本構図をサンプリングしている。またそれぞれの「区画」も、既存の美術作品から「引用」しているため、サンプリングソースを解説した。
終章 
ここでは、なぜ人物を画面に描いてこなかったのか、描かない理由についての最終的な結論を述べた。   

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不在
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