東京藝術大学 大学院美術研究科 博士審査展2019

日本画
半透明の「かげ」
-重層する時間の軌跡-
澤﨑 華子

審査委員:齋藤 典彦 佐藤 道信 宮北 千織 

 語ることは、出来事に対する自分自身の視点を主観から客観へと移すことで、初めて可能になる。作品群の根底に流れる自身と不可分なものについて語るのは、そういった意味で困難である。筆者の作品には、そのような曖昧さを含んだ事物が、曖昧さを保ったまま現実世界の景色に「透ける」ように現れる。そして、筆者にとっての制作行為とは、一つの視点で語れない事物を、制作過程で物理的に様々な形で表出させ、そこからの反照によってまた手を加え、徐々に浮かび上がらせる行為である。本論文は、そのような思考を背景とし、現在まで変容し続ける、筆者の制作についての論述である。
 本論文では、筆者の作品コンセプトを「半透明のかげ」、表現方法と身体感覚の相関を「浸透と滲出 -「染め」の皮膚感覚-」、イメージの現出方法を「レイヤー表現 -重層化する時間-」とし、筆者の制作意図について論じる。筆者は、制作の契機となる自身の記憶や身近な風景に存在する現象を、「かげ」という言葉で表わし、自身の記憶との曖昧な距離感を、「かげ」を媒介とする表現によって模索してきた。そして、その「かげ」を、半透明なものとしての和紙に、時間の軌跡を留め置く表現手法によって表現している。
 本論文における「かげ」の語は、現在一般的に使用される、光線を遮られた部分を意味する 「陰」とは区別し、日本語の古語にも見られる、光によって生じる明るい像や暗い像を包括する意味で使用する。またこの「かげ」には、「面影」や「水影」など、実体を伴わないイメージのニュアンスも想定している。例えば「投影」という言葉にも使われる「影」は、実在するものとは異なる形で、周辺環境との関係を持つことができる。また影は周囲からの影響を受けやすく、その曖昧さは「弱さ」とも関連付けることができるが、同時にその「弱さ」と曖昧さゆえに、周囲との関係をより示唆に富む柔らかなものに変化させる可能性を秘めている。日常的にも光と影の境界が曖昧になると、花弁や葉、光、波、雨などの移ろいやすいものが、互いに緩やかな関係性を持ち始め、曖昧ながらも大きな存在として眼前に浮かび上がる。
 本論文は3章で構成される。第1章「半透明のかげ」では、筆者の表現に通底するモチーフ選択の意図と、捉え方を示す。第1節「「かげ」への眼差し」 では、筆者の「かげ」に関する原体験として、星の観察での「そらし目」の体験と、日常風景に見られる影をとりあげる。また、日本の古語「かげ」を、筆者の制作上の文脈で解説する。第2節「「かげ」の表象」では、東西の芸術作品に見る影の様々な表現をとりあげ、筆者が表現しようとする「かげ」との共通点や差異を考察する。第3節「「かげ」の半透明性」では、「投影」される像との関係を踏まえ、「かげ」の可変的な透明度に着目する。それを「半透明性」と規定し、その視覚的、情緒的効果を検討する。
 第2章「浸透と滲出 -「しみ」「そめ」の皮膚感覚-」では、実制作における素材(和紙、岩絵具、水性絵具等)と「しみ」「そめ」の身体感覚の相関性を考察する。第1節「「しみ」「そめ」の皮膚感覚」では、物理的な「染み」と、日本語の「染め」という言葉の多義性に着目し、そこに含まれる心情的・ 身体的な感覚と、筆者の制作時の感覚との共通点について述べる。第2節「浸透によって出で来る景色」では、東洋画に見る裏彩色の技法によって、画面上で浸透と滲出が繰り返されることの意味を考察する。第3節「和紙の半透明性 —出で来る軌跡」 では、支持体としての和紙の半透明性を、物質的・歴史的背景から考察する。
 第3章「提出作品「半透明のかげ」」では、主に提出作品について解説する。その前段として、第1節「レイヤー表現-重層する時間と色彩-」では、襲色目
かさねのいろめを半透明の色彩として引用し、自作品における「重ね」を解説する。第2節「重層する時間」では、レイヤー構造を時間の層と捉え、自作品でのイメージの立ち上がり方と素材論を展開する。時間の層の制作例として版画技法を挙げ、和紙や水性絵具等の画材と、レイヤー構造の点から、自作品との共通点や差異を考察する。また、都市の構造に関するセミ・ラティス構造を引用し、「出で来る」ものとしての風景論を述べる。第3節「中間帯に現れ出るもの」では、図と地の関係における中間帯や、言語における中間帯を説明する。第4節「提出作品解説」では、提出作品の主題、表現の意図、制作方法を、制作過程と共に示し、半透明なものとしての和紙に、時間の軌跡を留め置く現在の表現手法を説明する。
最後に制作の課題と展望を示し、結びとする。

日本画
半透明の「かげ」
-重層する時間の軌跡-
澤﨑 華子