東京藝術大学 大学院美術研究科 博士審査展2019

油画
見えないものを撮る
—往還の身体行為によって生起するフォルム
新津保 建秀

審査委員:O JUN 布施 英利 三井田 盛一郎

 芸術表現における〈見えないもの〉という問いは、非常に広い範囲の概念を含んでおり漠然としている。 そしてこの問いには私たちを取りまく世界からの、見たり触れたりすることが可能な五感によって知覚されるものと、五感に分節化される以前の、私たちの心のうちにあるものの相互作用によって精神のうちに生起する対象への問いが含まれている。
 本稿はこの問いに対し、これまで写真家としての活動を行いながら、本学油画研究室での研究と制作を通じ、写真を絵画と対比させながら考察してきた私個人の経験を通じた所見を述べるものだ。
 
本稿は3章によって展開と実作の図版によって構成される。

 第1章では、まず美術における〈見えないもの〉への問いの輪郭を定め、その考察を行う。まず第1節では今日の美術作品において〈見えないもの〉を扱っていると思われる先行例としていくつかの作品を挙げる。ここでは2015年に行われた本学とロンドン芸術大学セントラル・セントマーチンズ校との共同カリキュラムの成果展である「複雑なトポグラフィ―庭園」展での、共同制作者のアリス・ケンプとともに行なった日英の庭園のリサーチで得た結論を、美術表現における「空間化されたコラージュ」作品の事例に接続し、今日のいくつかの作品の構造分析を行ってゆく。ここで対象となるのは鈴木昭男、ジャネット・カーディフ、ピエール・ユイグらによる作家自身によって入念に設定されたフレーム構造のうちにおいて鑑賞者の意識経験自体が作品化されている作品群である。続く2節では、ハンス・ベルメールとロバート・メープルソープらの写真作品のうちに混交されている身体性の分析を行う。第3節では、ハロルド・ゼーマンが1990年にキュレーションした「Light Seed」展で提示した、美術表現における「非物質的、時間的絵画存在の領域」についての問いを、ジョナス・メカス、ビクトル・エリセらの映像作品のなかで描かれる光によって照らし出される表象についての考察に重ねてゆく。

 第2章では、本研究制作の前段階にある、私自身の社会での制作経験と、その中で醸成された問いの背景にあるモチベーションが述べられる。第1節では本稿の副題にある〈往還〉という語の意味の範囲を定める。本稿においてこの語は、風景写真の撮影における過去に訪れた特定の場所を再訪する際の往復過程を指しているが、それは単に物理的な移動のみならず、場所と身体の再帰的な関係のなかで意識化される時間感覚や空間感覚を含んだ概念を指している。続く第2節では私自身が初期に制作した映像作品とコラージュ作品の制作過程を振り返りながら、本学での研究と並行して撮影したポートレート作品の制作過程で醸成された問いが述べられる。続く第3節では、私自身が社会の中で写真家として活動する過程で直面した問いと、これを解決するための方法論について述べる。

 第3章では、研究全体を振り返り、本稿における問いへの結論が記される。
第1節では提出作品の制作意図が述べられる。さらに第2節ではとその制作過程と手法が述べられる。そして第3節では、本学におけるドローイング作品の制作過程で意識化された時間的経験と身体的経験についての考察が、前章で見た〈往還〉の概念に重ねられ、〈見えないものを撮る〉という本稿の問いへの結論が私自身の立場から述べられる。そして第4節では本稿に基づいた制作実践の過程で生まれた、今後へ向けた新たな問いが語られ論が閉じられる。そして本稿に基づいた制作実践の過程で生まれた、今後へ向けた新たな問いが語られ論が閉じられる。

 また巻頭には、本稿で述べられた考察をもとに行われた実作の図版が付される。

油画
見えないものを撮る
—往還の身体行為によって生起するフォルム
新津保 建秀