東京藝術大学 大学院美術研究科 博士審査展2019

保存科学
楮紙の湿潤引張強さに関する研究
韓 知佑

審査委員:桐野 文良 塚田 全彦 荒井 経

  紙本や絹本の書画文化財を表具して掛け軸などを仕立てる場合、本紙は肌裏紙によって支えられる。肌裏紙として適している薄美濃紙は、横揺りを加えた製法により、縦横の強度比のバランスが取れた楮紙である。新しく使用される肌裏紙は、本紙の風合いに合わせて適切な色味に染められることがあり、そのため濡れた状態で破れないこと、すなわち高い湿潤引張強さを持つ薄美濃紙が求められている。故古田行三が製造した薄美濃紙は大変強く、現在製造されているものはそれよりも弱いとされるが、どうしてそのような差がつくのかは明らかでない。そこで、楮紙の湿潤引張強さに影響を及ぼす要因を解明し、湿潤引張強さ高い楮紙の煮熟条件を確立することを本研究の目的とした。
  第1章では、緒論として研究背景、既往の研究、研究目的をまとめた。
第2章では、抄紙方法の違いによる薄美濃紙の強度への影響を明らかにした。
抄紙者や漉き方の異なる薄美濃紙試料を調製した。アルカリ溶液濃度が高くなると、フィンチ法による薄美濃紙の湿潤引張強さは低下した。その傾向は紙の地合評価および装こう師による灰汁媒染時の強さの官能試験の結果である抄紙名人の古田製が一番良く、現代の長谷川製はそれよりも低いとほぼ一致していた。袋洗いや楮の枝先端部からの原料からの試料の湿潤引張強さは低下していた。抄紙順が遅くなるほど、紙の湿潤残留率 は上昇する傾向が認められた。
  第3章では、煮熟強さが楮紙の湿潤引張強さへ与える影響をさらに詳しく検討した。
薄美濃紙の湿潤強さと煮熟強さに相関しているような傾向が認められ、煮熟弱試料が最も高い湿潤引張強さを示した。なお、繊維間に膜を形成して繊維間結合を強化されると言われている柔細胞量は煮熟が強くなると減少していた。パルプを袋洗いして、柔細胞や細かい繊維を洗い出した原料から抄紙した紙(袋洗い試料)では、袋洗いしていない原料からの紙と比較して湿潤引張強さは低下した。 そして、長谷川作製の煮熟弱の薄美濃紙の湿潤引張強さは古田が製造した薄美濃紙とほぼ同じ値を示した。
  ソーダ灰(炭酸ナトリウム)と苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)のアルカリ強さの異なる2種類の煮熟剤を使用し、同一アルカリ濃度で煮熟時間のみを変えたパルプと同一煮熟時間でアルカリ濃度のみを変えたパルプを作製した。煮熟強さがより弱いパルプから抄紙した試料がより高い湿潤強さを示し、それぞれの試料の柔細胞含有率と湿潤引張強さにも良い相関があった。同じ煮熟時間で、アルカリ性が強い苛性ソーダで煮熟したパルプから抄紙した紙は、ソーダ灰の煮熟によるものよりも湿潤引張強さが低く、柔細胞量も少なかった。
 第4章では、同一条件で煮熟した楮パルプを篩分試験機にかけて、繊維と柔細胞(微細な繊維を含む)を分離し、パルプ中の柔細胞含有率と紙の湿潤引張強さの関係を検討した。繊維中の柔細胞量が減少するに伴い湿潤強さは低下するが、徐々にその変化は小さくなる。
 第5章では、繊維中のヘミセルロース含有率の楮紙の湿潤引張強さへの影響について検討した。
同一煮熟条件で、繊維中のキシラン含有率が高くなると、湿潤引張強さが増加する。
 第6章では本研究を総括する。
 以上の結果から、長谷川の通常条件すなわちソーダ灰13%(対楮皮)で2時間煮熟よりも、古田が行なっていたと考えられる同様のアルカリ濃度で1時間の煮熟に短縮する方が薄美濃紙の湿潤強度が高まる。この時、シートの柔細胞量も高まり強度改善に寄与している。
 以上の成果は、装潢師が希望している湿潤強さのより高い楮紙の製造を実現できることを示しており、今後の高品質な和紙の製造に大いに寄与し、紙本文化財の保存にも寄与するものである。

保存科学
楮紙の湿潤引張強さに関する研究
韓 知佑