東京藝術大学 大学院美術研究科 博士審査展2019

美術教育
美術教育における記号と実在
橋本 大輔

審査委員:木津 文哉 上野 正道 渡邉 五大 齋藤 典彦                          

美術教育における記号と実在

本論文は美術教育論における記号論と実在論の位置づけを考察することを通して、美術の学びを一つの知の在り方として位置づけることを主題としている。これは近年美術教育学において興隆してきているArt-Based Research(芸術的省察に基づく研究:ABR)という動向について、その実践の史的・学問的位置づけを整理し、その可能性と課題点を批判的に検討するための理論的基盤を与える試みでもある。
ABRは、美術の探求を一つの知の在り方として、その営みを研究の一形態として認める考え方である。そのことの意義は、美術に関する理論と実践の関係を統一的な観点から捉えることを可能にすることである。これは、美術科教育と専門教育、美術の実践と思想的研究といったような領域が分断され個別に研究されるのではない在り方としての美術の研究を構想するための基礎理論となりうるものである。
そこで問題になっているのは、美術における知とは何かという問題である。現在、先行研究においてはそのような知が存在しているという前提でABRの探求が行われており、またABR研究に限らず美術の学びの意義を認める場合、何らかの知の存在が仮定されることが多い。しかし、その知は必ずしも明確化されていないものである。そのため、美術における知を明らかにしようとすることは、今日の美術教育学においても意義があるものと認められる。本論文は、知のあり方を規定してきた記号論と実在論の議論を渉猟し、美術制作者の観点から美術教育における知とは何かを原理的に考察したものとして独自性を持つ。
各章の構成については以下のとおりである。まず第一章では、美術教育学の今日的な問題状況を整理する。制度論的な研究を超えて、美術教育についての本質主義的な考察が求められている現在、質的革命の潮流においてABRが生じてきた。そのような背景に、本質主義―文脈主義といった対立構造があったことを示し、金子―柴田論争、DBAEとポストDBAEという議論の状況を踏まえたうえで、今日的な美術教育学の課題を明らかにする。
第二章では、美術教育においても重要な要素である作品制作についての理解を深めるために、リアリズム絵画制作を主題として美術制作の概念的モデルを提示する。美的記号という概念を導入し、美術制作におけるリアリズムを再帰的な意味の生成の場というシステムとして位置づける。
第三章では、記号論における記号の外部への志向性について論じる。記号論的美術観は記号外部の実在を捨象するという傾向があり、またそれに則った教育手法が形骸化する恐れがあるものであった。本章では、美術教育を考える際には記号と実在の中間領域としての美術のあり方を的確に把握する必要があることを示している。
第四章では、科学哲学における境界設定問題を主題としながら、美術教育における知のあり方について考察する。特に、美術の実践は学的妥当性があるのかという問題について考える。
第五章では、言語論的転回という20世紀の哲学的潮流についておさえ、美術の知と命題的知の概念の齟齬を踏まえて、美術における知を考えるためにはどのような理論的な前提が必要なのかを考察する。本章ではそれを美術的プラグマティズムの実践に求めている。
第六章では、近年の実在論の動向である「新しい実在論」の考え方を批判的に検討する。新しい実在論は相対主義を超えて記号の外部の実在の思考可能性を主張する。本論文では、新しい実在論の中でも人間的要素を重要視する「意味の場の存在論」に可能性を見出し、それを記号論的な立場と接続し、美術教育を考えることを試みる。
第七章では、政治としてのリアリズムという観点から美術教育を描写する。ランシエールの政治概念を参照して主体形成のリアリズムを考えたうえで、リードの「芸術による教育」と接続し、それをシモンドンの個体化論と合わせて考えることで、美的教育としての美術教育を位置づける。
第八章では、本論文全体の総括も含めて美術教育をフィクションによる教育という観点から考察する。本論文においてフィクションは美的教育のリアリズムを実践する際に再帰的に生じる、変容し続ける質的な同一性と非同一性の連関における出来事的存在として考えられている。そのようなフィクション概念を採用する論拠と利点を述べたうえで、従来フィクションが知の体系において相対的に弱い位置づけにあったということを指摘し、フィクションの可能性という観点からいくつかのフィクション的実践の擁護を試みる。フィクションによる教育は本質的な表象不可能性から出発して、記号と実在の質的な関係性からなるフィクションをつくり出すことで主体が生成するというリアリズムとしてとらえられる。この立場が本論文で示しえた美術教育の本質主義的な位置づけである。

美術教育
美術教育における記号と実在
橋本 大輔