東京藝術大学 大学院美術研究科 博士審査展2019

先端芸術表現
1950年代の田中敦子論
−モチーフの表現方法による分類から見た作品変化−
中島 伽耶子

審査委員:長谷部 浩 日比野 克彦 小沢 剛 藤井 匡

本論の目的は、1950年代に制作された田中敦子の作品が、どのような変遷を遂げたのかを考察することである。田中は1954年に結成されたグループ「具体美術協会」(以下「具体」)のメンバーとして活躍した作家である。1985年半ばから、国内外で「具体」の再評価が始まることでこのグループの資料調査や研究が進められてきた。しかしその中で、マチエールを極力排した田中の平面的な絵画は、「具体」の特徴として語られる激しいアクションや物質性を強調した表現とは合致せず、「具体」研究の中でも一つの例としてのみ扱われることが多い。本論ではあえて「具体」との影響関係を脇に置き、一人の作家としての田中敦子に焦点を当てる。
 田中の作品は、50年代には音、光などを使用したオブジェや、身体、空間などを活用した多様な作品がつくられたが、60年代からかは徐々に制作が絵画へと移行し、それ以後、亡くなる2005年まで絵画の探求が続けられた。田中の作品はどのように絵画へと移行したのか。意外にも田中の作品変化に注目した研究は少ない。理由として田中の作品が、新しさを求めた前衛的「オブジェ」から、伝統的様式である「絵画」への後退として捉えられたことにあるだろう。それに対し田中は、オブジェもパフォーマンスも含む、全ての作品を「絵画」そのものとして制作したと語ることで、作品の一貫性を主張した。田中のこの主張は、作品の変化を「立体」「平面」といった形式の変化として捉える従来の考え方に、大きな疑問を投げかけるものである。田中が主張するように全ての作品が「絵画」だとすると、50年代の田中の作品には何が起こっているのだろうか。
 田中の作品変化を探るにあたり、1957年1958年に制作された通称《電気絵画》と呼ばれる2点の作品に注目する。この2点は、田中の作品が絵画へと移行する過渡期の作品でありながら、田中本人が評価しなかった点、残された記録が少ない点から詳細がわからず、先行研究でもほとんど語られてこなかった。この2点を田中の作品の時系列に加え、1950年代の作品の流れを改めて見直すのが狙いである。加えて、「立体」「平面」という作品形式による分類ではなく、共通のモチーフである服が、それぞれの作品でどのように表現されているのかに注目し、田中の作品を新たに3種類に分類した。「実体としての服」「再現としての服」「表層としての服」この3種類に分類し、改めて時系列に並べることで1950年代の作品変化を考察する。
 その結果、1950年代の作品のうつりかわりは、作品への没入感を追求する過程として見ることができた。田中は素材や作品形式を柔軟に組み合わせながら、作品への没入感を生みやすい構造を検討し、最終的に選ばれたのが、キャンバスに合成樹脂エナメル塗料で描画する、一般的に絵画と呼ばれる形式だったのである。田中が求めた作品への没入感は、遠近法に代表されるような絵画的イリュージョンによる、描かれた世界に入り込むような没入感ではなく、目の前の絵画に視線が包み込まれるような没入感である。田中が求めたこのような視覚効果は「具体」とは明らかに違う特質であると言えるだろう。
 以上のように、田中の1950年代の作品変化を新たな分類で眺めると、個々の作品のうつりかわりは、田中独自の「絵画」という枠組みの中での多様性として捉えることができるだろう。素材や作品形式に対する田中の柔軟性が、1950年代の多様な作品を作り出したと言える。

先端芸術表現
1950年代の田中敦子論
−モチーフの表現方法による分類から見た作品変化−
中島 伽耶子